【6月11日 AFP】サッカーW杯ウルグアイ大会は、ウォール街大暴落から間もない1930年7月に開催され、すべての試合が首都モンテビデオ(Montevideo)で行われた。

 移動が難しかったことから、招待された国のうち、参加したのはわずか13か国だった。

 欧州からはフランス、ベルギー、ルーマニア、ユーゴスラビア の4か国のみが招待に応じ、ユーゴスラビアを除く3か国がイタリアの客船コンテ・ヴェルデ(Conte Verde)に乗り、フランスのヴィルフランシュ・シュル・メール(Villefranche-sur-Mer)から、大西洋を渡る長い船旅に出 た。

 3チームは2週間の航海の間、船上で練習を積み、ユーゴスラビア、さらに米国大陸からの9か国とモンテビデオで合流した。参加13か国は4つのグループに振り分けられ、グループ1位のチームが準決勝に進出する仕組みだった。

 欧州勢で最高成績を残したのはユーゴスラビアで、ベスト4入りを果たしたが、準決勝でウルグアイに1-6で大敗した。そして準決勝のもう1試合では、アルゼンチンが6-1で米国を圧倒した。

 迎えた決勝で、センテナリオ・スタジアム(Centenario Stadium)に集まった母国のファン9万人の後押しを受けたウルグアイは、前半を1-2で折り返したものの、アルゼンチンに4-2で逆転勝ちした。

 これにより、ウルグアイでは翌日が祝日となったが、ブエノスアイレス(Buenos Aires)では、暴徒化したアルゼンチンのファンがウルグアイ大使館を襲うという事件が起こった。(c)AFP