【3月24日 AFP】カバンダさん(33)は多数派フツ(Hutu)人の民兵組織インテラハムウェ(Interahamwe)が押し寄せて来た1994年4月7日のことをよく覚えている。「ルワンダ大虐殺」が始まった日だ。

 大虐殺の生存者の会の地元代表を務めるカバンダさんは、惨劇から20年になるのを前に開かれた追悼式典で、「彼らがやって来て、街の中心部に私たちを連れて行くと父に言った。兄も連れ去られ、父や兄には会うことは二度となかった」と話した。

 フツ・パワー(Hutu Power)と呼ばれるフツ至上主義から成るイデオロギーを扇動し、少数派ツチ(Tutsi)人の壊滅を目指したインテラハムウェは、カバンダさんの家族や他の人々を、コンゴ民主共和国(旧ザイール)との国境に近い西部の小さな町、ルバブ(Rubavu)の自治体の安全な建物に連れて行くと約束した。

 だがカバンダさんの家族らが実際に連れて行かれたのはルバブの墓地。そこで刃物や銃、手投げ弾で殺害され、集団墓地に放り込まれた。100日間で少なくとも80万人が殺害された大虐殺の始まりだった。多くの血が流されたこの場所は「レッド・コミューン(red commune)」と呼ばれる記念墓地になっている。

 イベントではカバンダさんを含む生存者たちが2時間以上、抱えてきたトラウマを打ち明けた。話をした人の中には殺害に加わった人もいた。

 ある男性は「私の父はフツ人、母はツチ人だった。インテラハムウェは私に、お前にはツチの血が流れていると言った。生き延びるために私はインテラハムウェに加わり、人を殺さなければならなかった」と明かした。

 この男性は95年に禁錮14年の判決を受けた後、ポール・カガメ(Paul Kagame)大統領によって2001年に赦免された。男性は「ツチの大虐殺で起きたすべてのことをこの目で見た。ここに来て話をすることで国の再建に貢献したい」と語った。

 イベントの主催者は、こうした催しが古傷をえぐるのではなく、ルワンダがこれまでの20年間に見せた回復力と勇気を示すものとして役立つことを願っていると話した。(c)AFP/Stéphanie AGLIETTI