【9月25日 AFP】19世紀にやって来たキリスト教の宣教師らによって野蛮な異教徒の習慣として禁じられたタトゥーが、南太平洋のクック諸島に復活しつつある。

 入れ墨はかつてクック諸島やトンガ、タヒチ、サモアといった南太平洋の島しょ国ではどこでも見かける伝統だった。英語の「タトゥー」という言葉の語源はポリネシア語の「タタウ」または「タタタウ」に由来する。
      
 動物の骨や貝殻で作った刃で彫るタトゥーは、ポリネシアの男性たちの通過儀礼だった。精緻な絵柄で体の大部分が覆われた筋骨たくましい戦士を、欧州人たちは描き残している。
 
 首都アバルア(Avarua)にタトゥースタジオをもつルーサー・バーグさんはこう語る。「ワカ(カヌー)で出かけて他のカヌーとすれ違ったら、相手のタトゥーでどこの誰かが分かった。トンガから来た、とかね。もし自分がその集団に属していたら、もっとはっきりと、どの島のどの家系の者かまで分かったんだ」

 昨年出版されたクック諸島のタトゥーの歴史に関する本『Patterns of the Past』(過去の文様)の著者のテレス・マンゴス(Therese Mango)さんによると、欧州からやって来た宣教師たちは徹底的にタトゥーを禁じ、それを破って入れた者は罰せられた。「タトゥーはキリスト教に反する非常に恥ずべきものとみなされました。体に入っている柄を、実際にさんごのかけらで削り取って消したという記録まであるのです」

 その結果、サモアとニュージーランドを除いて、ポリネシア全体が文化的記憶喪失に陥り、伝統的なタトゥーは事実上姿を消した。しかし1990年代になって伝統芸術や工芸の再発見が試みられ、そうした文化的動きの中でタトゥー復活への関心が高まったとマンゴスさんは言う。永久に失われてしまった柄もあるが、彫り物や織物を通して生き残った柄もある。

 ポリネシアのタトゥーは1つの言語のようなものだと、数少ない彫師の1人、クロック・コールターさんは言う。それだけに欧州でポリネシアの伝統柄のタトゥーを入れることに人気が出ていることが気にかかっている。インターネットで見かけて、文化的な意味はまったく考えずに柄の美しさに単にひかれて「盗んで」いるのだ。

「自分の皮膚を差し出すというのは、生半可な信頼関係ではありません。(絵柄は)伝統や家系、出身の島などを表すものでなければならない。大きな責任もかかります」

 今月5日にニュージーランドの美術館シティー・ギャラリー・ウェリントン(City Gallery Wellington)でタトゥーを彫る実演を行ったサモアの彫師、スア・ポール・スルアペさんは宣教師たちがタトゥーを禁じた理由について、伝統的な道具で彫れば血が流れ、非常に痛い工程だからだったのではないかと推測している。しかし、サモアの文化にとってタトゥーがあまりに肝要だったので、教会もサモアではタトゥーを止めさせることができなかったと、スルアペさんは語る。

 スルアペさんは、地域の文化的アイデンティティだったタトゥーを、宣教師たちが何故、ポリネシア中で激しく弾圧したのかは分からないと語る。「私にとっては、タトゥーの知識と技を世代から世代へと伝えられることこそが、神からの贈り物なのです」(c)AFP/Neil Sands