【7月15日 AFP】ロンドン五輪の総合馬術に出場する佐藤賢希(Kenki Sato)は、五輪の代表選手としては異色の家柄を持つ、馬に乗る僧侶だ。

 一日を祈ることから始める佐藤は、2008年北京五輪に障害飛越競技で出場した弟の英賢(Eiken Sato)さんに続いて五輪出場を決めた。妹の泰(Tae Sato)さんは同種目で国体5連覇を達成している。

 そして、父の正道(Shodo Sato)さんは460年の歴史を誇る長野県内の明松寺(Myoshoji)の25代目住職でありながら馬術選手としても活躍し、1980年のモスクワ五輪に日本代表として選出された。しかしながら、正道さんはボイコットにより、五輪に出場できなかった。

 馬場馬術、耐久競技(クロスカントリー)、障害飛越の3種目で競われる総合馬術に出場する佐藤は、寺を離れてロンドン五輪に向けた練習を重ねている。代表のチームメイトには、北京五輪の最年長出場者で、馬場馬術で出場する71歳の法華津寛(Hiroshi Hoketsu)も名を連ねている。

 馬術の日本代表団は、1932年のロサンゼルス五輪で西竹一(Takeichi Nishi)氏が障害飛越競技で金メダルを獲得して以来80年ぶりのメダル獲得に大きな期待がかかっているわけではないが、28歳の佐藤は五輪に出場することに精神的な価値があると説明し、「海外の、宗教が違ったり言葉が違ったりするいろいろな方と出会えて、人間的に学べる部分もあります。そういう部分を仏道に還元したい」と語る。

 2008年、英賢さんの北京五輪出場時に佐藤は人里離れた場所にある高名な禅寺で修行中の身だった。

 佐藤は「僕の老師が新聞の切り抜きを持ってきてくれて、僕にこっそり見せてくれました。本当に涙がでるほどうれしかった」と振り返り、「弟に負けたくないという部分もどこかに持っていて、それはスポーツ選手として活動する上で大きなエネルギーになる」と語った。

 佐藤は、2010年に行われたアジア大会(Asian Games)で総合馬術個人と団体の2冠を達成し、世界馬術選手権(FEI World Equestrian Games)では35位に入った。

 7歳の時に父の下で本格的に馬術を始めた佐藤は「父は五輪選手になれなかったので、その意味が強いと思います」と馬術に対する思いを明かした。

 61歳の正道氏は、長野の山中で馬とともに生活する環境で育ったことから、馬術と仏教を結びつけた。東京の仏教関連の大学に進学しながら馬術を学び、1979年には境内に馬場を作った。馬場内の施設からは丘に広がる墓地が見える。

 息子たちが小さい頃には、背中におんぶして馬に乗っていた正道氏は、当時のソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に反対した日本がボイコットに参加したことで五輪出場が叶わなかったことを問われると、「過去にこだわらない。それはその時の運です」と達観した考えを述べた。

 163センチメートルと小柄な佐藤は、ドイツのシュツットガルト(Stuttgart)に渡り、総合馬術の世界王者マイケル・ユン(Michael Jung)とともにトレーニングを行っている。

 しかし佐藤は、大会前の自宅では特に座禅を必要不可欠としている。佐藤は「(座禅を組むと)落ち着くというか、またやる気になりますね」と語るが、その力だけに頼っているわけではない。

 「一応、私の曹洞宗は他力本願ではないので。ふと、競技を終えた時に、馬であったり、グルーム(馬を管理する人)、それや家族に感謝することが非常に大切だと思います」

(c)AFP/Shigemi Sato