【1月18日 AFP】「僕は『ディンカ人』でも『アチョリ人』でもありません。部族で言うならスーダンの『ギリシャ人』で、南部スーダン人です」――スーダン南部のジュバ(Juba)に住むジョージ・ギネス(George Ghines)さんは、誇らしげにこう語った。

 映画のタイトルをとって、「僕は最後のモヒカン族です」と悲しげにほほえむギネスさん。ジュバ生まれの彼はギリシャ人入植者の末裔(まつえい)であり、50年間続いた2回にわたる内戦後もジュバに暮らす唯一の純血のギリシャ人だ。

 同地では現在、南部の独立を問う住民投票が行われている。ギネスさんも投票したいのだが、有権者登録もままならない状況だ。「登録は困難です。彼らが白人の南部スーダン人というものを目にしたことがないからです。彼らは、白人のスーダン人が存在すること、白人のスーダン人にも投票権があることを認めようとしません」(ギネスさん)

■ギネスさんの祖先
 
 ギネスさんの祖先は1905年、スーダン南部に入植した。当時スーダンを統治していた英国植民地政府がギリシャ人の「商才」を見込み、ギリシャ人の入植を奨励したため、20世紀初頭の20年間にギリシャ人がスーダン南部に大挙して押し寄せたのだ。入植者たちはやがて、商業の中継地点としてジュバの街を築いた。

 ギリシャ人たちはジュバの「ギリシャ人地区」に家を建てて暮らした。ギネスさんの父親も、英国の植民地支配が終焉する約20年前、ここに居を構えた。

 ギリシャ様式の建物もたくさん建立されたが、内戦の50年間は全く手入れがされなかったため、悲惨な状態だ。ギリシャ人コミュニティーの共同墓地にはゴミが散乱し、雑草が伸び放題。近くにある警察署の職員がトイレとして使用していた形跡もある。

「彼らはパイオニアです。こんな仕打ちを受けるべきではありません。ギリシャ政府も怠慢で、ギリシャ政府にとってわれわれは存在しないことになっています。悲しいことです」と、ギネスさんはため息をついた。

■内戦後のスーダンに唯一帰国したギリシャ人

 ギネスさんはギリシャとスーダンの両方のパスポートを持っている。ジュバとハルツーム(Khartoum)の学校に通ったあと、大学教育を受けるためギリシャ・アテネ(Athens)に渡った。そんな折の1983年、南北間で第2次内戦が勃発する。

 ギネスさんの生まれ故郷であるジュバは政府軍の駐屯地になり、南の反政府軍に包囲されて度重なる砲撃を受けた。故郷に帰れなくなったギネスさんは、難民として中東・北アフリカ諸国を渡り歩いた。そして2005年に包括和平合意が成り、22年ぶりに内戦が終結すると、ジュバに帰郷した。だが、スーダン南部に戻った純血のギリシャ人はギネスさんだけだった。

 ギネスさんは現在、ギリシャ料理と南スーダン料理を出すレストランを経営している。店名は「ノトス」、古代ギリシャの南風の神を指しており、スーダン南部の独立を支持するギネスさんの気持ちが反映されている。

■「欧米支援団体の職員」に間違われることが残念

 なおジュバには、ギリシャ人と黒人のハーフが数多く存在している。ギネスさんによると、サルバ・キール・マヤルディ(Salva Kiir Mayardit)第1副大統領兼南部スーダン自治政府大統領の夫人も、ギリシャ人の父とディンカ人の母を持つという。

 ギネスさんは最後に、次のように語った。「自分は同郷の多くの人々から、四輪駆動車に乗って大渋滞を起こしている、西洋の支援団体職員や外交官といった白人たちの1人としてみられています。傷つきますよ」(c)AFP/Steve Kirby