【4月17日 AFP】カザフスタン大草原地帯の奥地にあるバイコヌール(Baikonur)宇宙基地に足を踏み入れると、旧ソ連時代にタイムトリップしたような感覚に襲われる。ここに住む人たちの多くはこの状態を保ちたいと考えている。

 インターネットカフェや看板はなく、ロシアの大都市で問題となっているフーリガン行為や外国人排斥暴動などの社会問題もない。

 主要広場にはレーニン(Lenin)像が建てられ、世界初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン(Yury Gagarin)など旧ソ連の栄光をたたえる大きな表示が掲げられ、市職員は旧ソ連時代のようにゴミのない街を保とうと骨を折る。

 バイコヌールに住んで40年になるロケット組み立て部門の責任者Vyacheslav Kononenkoさん(59)は「ロシアよりここの方がくつろげる。ここでは皆顔見知りで、道で会えばあいさつもする。ロシアはもうこんな雰囲気ではない」と語る。退職時期も近づいているが、出身地のロシア西部には戻りたくないという。時間のあるときには草原でキジ狩りを楽しむ。

■人口の減少

 Kononenkoさん自身は夏には50度、冬にはマイナス40度にもなる厳しい気温差にも慣れているが、ロシアからここに移りたがる若者がほとんどいないと嘆く。

 かつてレニンスク(Leninsk)と呼ばれていたバイコヌールは1950年代、ロケット・ミサイル基地として旧ソ連の最も奥まった場所の1つに作られ、何十年も極秘にされてきた。最も近い主要都市、カザフスタンのアルマトイ(Almaty)までですら、車で18時間かかる。

 最盛期には11万人が住んでいたが、1990年代の経済的激変、カザフスタンの独立などを経て、多くの人がロシアに戻り、現在では約6万9000人が住むにすぎない。

 地元週刊紙バイコヌール(Baikonur)のVyacheslav Yegorov記者は「ロシアでの生活の質は変わり、給料は上がった。若者はロシアに比べバイコヌールは少し『遅れている』という」と語る。一方、高齢者がロシアに戻ろうとすると、疎外感を感じるという。「友人もいなければ子どもも独立している。別世界にいるようで、バイコヌールに戻ってくる人もいる」

■進むカザフ化

 バイコヌールでも時代は変わりつつある。

 大陸間弾道ミサイルRS-20や宇宙船ソユーズ(Soyuz) 、世界初の人工衛星スプートニク(Sputnik)などの記念碑に並び、クラブ、ショッピングセンター、高級ホテルが軒を連ねる。2006年には町外れに東方正教会も開かれた。宇宙へ旅立つ飛行士には神父が祝福を与え、宇宙船には聖水がかけられる。

 より根本的な変化もある。ソ連崩壊に伴い、ロシアはカザフスタンから宇宙基地をリースしなければならなくなった。リース期限は2050年まであるが、すでにバランスは変わりつつある。初期居住者の大半はベラルーシ、ロシア、ウクライナなどのスラブ人だったが、現在では55%の住民がカザフスタン人だ。

 レーニン像の脇にある旧ソ連当局の建物はカザフスタンの投資家によって買い取られ、娯楽施設になるという。大規模な複合ホテルの建設を予定しているカザフスタンの会社もある。ロシア語学校はカザフスタンの学校に変わりつつあるという。

 バイコヌール市役所に勤めるロシア人、Lyubov Bryantsevaさんのような人にとっては、依然これが故郷だ。ソ連崩壊後や1990年代初めの混乱後も「あるがままに保つことを決めた」と語る。

 22年間バイコヌールに住んでいるBryantsevaさんは、ロシア北部のサンクトペテルブルク(旧レニングラード、Saint Petersburg)にアパートを持っている。エンジニアだった夫に先立たれ、子どもたちは独立しているが、ロシアに戻る決心はつかないという。「心理的バリアがある。給料の問題ではなく、心理的問題だ。われわれは小さな家族のようなもので、それをとても大切にしている。ロシアはいま、違ったルールで進んでいる」と語る。(c)AFP/Dario Thuburn