モスクワで連続殺人犯の公判開始へ チェス盤になぞらえ64人の殺害を意図?
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【9月14日 AFP】ロシアのモスクワ市裁判所(Moscow city court)で13日、1992年から2006年までに49人を殺害したとされるAlexander Pichushkin被告(33)の公判開始に向けた陪審員の選定が行われた。捜査当局では、最終的な犠牲者数は62人にのぼるとみている。
殺人が行われたモスクワ市内の公園名にちなんで「Bitsevskyの狂人」と呼ばれる同被告は、チェス盤のマス目数になぞらえ64人を殺害する計画だったともいわれ「狂ったチェスプレイヤー」とも呼ばれている。
捜査当局は、Pichushkin被告は旧ソ連時代に52人を殺害し1992年に有罪判決を受けた連続殺人犯、Andrei Chikatiloの記録を更新する狙いで殺人を続けたとみている。
犠牲者の多くがアルコール中毒の老人だったという。
最初の殺人が行われたのはPichushkin被告が学生だった1992年とみられる。この頃の殺人手法は、公園内のマンホールに泥酔状態の犠牲者を突き落として溺死させるというものだった。何とかマンホールから這い上がってきた犠牲者も、結局はPichushkin被告によって撲殺されたという。
その後、2001年頃からはハンマーで撲殺する手法に切り替えた。
Pichushkin被告は公園内で犠牲者を物色し、「飼い犬が死んで落ち込んでいるので、一緒に酒を飲んでなぐさめてほしい」などと言葉たくみに犠牲者に酒を飲ませ泥酔状態にさせていた。
犠牲者には女性も3人含まれている。このうちの1人はPichushkin被告と同じ店で働いていた同僚で、息子にPichushkin被告と散歩に出かけるとのメモを残した際、被告の電話番号を記載していたことから、同被告が容疑者として捜査線上に上がり、2006年6月の同被告の逮捕につながった。
日刊紙モスクワ・タイムズ(Moscow Times)によると、Pichushkin被告の逮捕は、逮捕に気づいた同被告が自殺を図るのを防ぐため、命綱をつけた特殊部隊員がロープで被告のアパートの壁を伝って窓から被告の室内に突入するという念の入れようだった。
一方、各テレビでも、Pichushkin被告の逮捕以来、同被告が無表情に「自分で殺人を止めることなど決してできなかっただろう。(自身の)逮捕で多くの人が救われたことになる」と語る映像が繰り返し放映された。(c)AFP/Nick Coleman
殺人が行われたモスクワ市内の公園名にちなんで「Bitsevskyの狂人」と呼ばれる同被告は、チェス盤のマス目数になぞらえ64人を殺害する計画だったともいわれ「狂ったチェスプレイヤー」とも呼ばれている。
捜査当局は、Pichushkin被告は旧ソ連時代に52人を殺害し1992年に有罪判決を受けた連続殺人犯、Andrei Chikatiloの記録を更新する狙いで殺人を続けたとみている。
犠牲者の多くがアルコール中毒の老人だったという。
最初の殺人が行われたのはPichushkin被告が学生だった1992年とみられる。この頃の殺人手法は、公園内のマンホールに泥酔状態の犠牲者を突き落として溺死させるというものだった。何とかマンホールから這い上がってきた犠牲者も、結局はPichushkin被告によって撲殺されたという。
その後、2001年頃からはハンマーで撲殺する手法に切り替えた。
Pichushkin被告は公園内で犠牲者を物色し、「飼い犬が死んで落ち込んでいるので、一緒に酒を飲んでなぐさめてほしい」などと言葉たくみに犠牲者に酒を飲ませ泥酔状態にさせていた。
犠牲者には女性も3人含まれている。このうちの1人はPichushkin被告と同じ店で働いていた同僚で、息子にPichushkin被告と散歩に出かけるとのメモを残した際、被告の電話番号を記載していたことから、同被告が容疑者として捜査線上に上がり、2006年6月の同被告の逮捕につながった。
日刊紙モスクワ・タイムズ(Moscow Times)によると、Pichushkin被告の逮捕は、逮捕に気づいた同被告が自殺を図るのを防ぐため、命綱をつけた特殊部隊員がロープで被告のアパートの壁を伝って窓から被告の室内に突入するという念の入れようだった。
一方、各テレビでも、Pichushkin被告の逮捕以来、同被告が無表情に「自分で殺人を止めることなど決してできなかっただろう。(自身の)逮捕で多くの人が救われたことになる」と語る映像が繰り返し放映された。(c)AFP/Nick Coleman