【7月17日 AFP】これまでに9人の死者を出した16日午前の新潟県中越沖地震から丸1日。被害が最も大きかった新潟県柏崎市では、水道も電気も止まり、1万2000人以上が避難所で不安な夜を過ごした。

 ある女性(36)は自宅が半壊したため、幼い子ども2人を連れて避難所に指定された近くの学校に向かった。しかし既に満員であったため、公民館に避難した。「明日のことが心配で、1週間先のことなど考えられません。避難所に充分な食糧があるとも思えませんし」と、疲れ切った表情で語った。

 同市は自衛隊の出動を要請し、市内計123か所の避難所へのおにぎり、毛布その他必需品の支給は自衛隊が担当している。

 柏崎刈羽原子力発電所の電力供給施設内で火災が発生し、放射能を含む水が外部に漏れたと報じられたことも、市民の不安要因の1つだ。

「大量に漏れていても、市当局はパニックをおそれて公表しないでしょう。精神的苦痛が大きく、このうえ原発事故にまで思いは至りません」と女性は話す。

 過去の地震では、いずれも、被災者にとっての最大の試練は「地震後」にあるという事実が浮き彫りになっている。

 今回と同じマグニチュード6.8を記録した2004年10月の新潟県中越地震では、死者67人の大半が地震後のストレスや疲労で亡くなった「年配者」だという。ちなみに、今回の地震で亡くなった9人はいずれも70代から80代だ。

 気象庁は、余震は今後1週間続くことが予想されるとして注意を促している。

 自宅を兼ねた書店が被害を受けたという78歳の女性は、「家の片付けについては、余震がおさまってから考えることにします」と語った。

 先の女性(36)は地震が発生した時、買い物に向かうところだったという。「夫と子どもが家を出たとたん、家が倒壊しました。1秒でも遅れていたら・・・。父親はがれきから這い出し、幸いにもけがはありませんでした」

 古めかしい日本家屋が建ち並んでいた市内の沿道は、今やがれきの山となり、道にはモノや割れたガラスが散乱して通行できない状態だ。

「子どもに食べさせてやることができるか、心配は山積みです。携帯電話もお金もその他もろもろも残がいの下敷きです。自分たちだけで生活を立て直すことは不可能です」と、パン屋を営む女性の夫(37)は語った。(c)AFP