【石川 27日 AFP】能登半島地震の被災地、石川県輪島市に住む女性Aさん(76)は、地震による直接の被害はまぬがれたものの、若者たちが輪島を見捨ててしまうのではとの危惧(きぐ)を抱く。

 Aさんは、「戦火をはじめ、これまで恐ろしい思いもしたが、今回の地震は人生で一番恐ろしい経験だった」と語る。

 25日午前、漁業と工芸の街、輪島をマグニチュード6.9の大地震が襲い、1人が死亡、200人あまりが負傷したほか、建物600棟が倒壊した。その後も、マグニチュード5.3レベルの余震が2回も同地を襲い、救援活動は滞り、住民らは避難生活を余儀なくされている。

 地震で荒廃した自宅付近にたたずむAさんは、「地震を生き延びることはできたが、若者たちは年老いた親たちを見捨てて都会に出て行ってしまうのではないか」とあきらめ顔だ。
 「自然と静寂が取りえの村だったのに、地震はそれさえも奪ってしまった」

 Aさんの親友Bさん(86)も、同市を襲った最悪の自然災害に同様の懸念を抱いている。17年前に夫を亡くして以来1人で暮らすBさんは、「この年齢になると、ほかに行く当てもない」という。
 「地震は去ったけれど、残った物は何もない。わたしの人生もこの町も、そう長くはもたないだろう」

■輪島の高齢化問題は全国でも顕著

 高齢化が進む日本の中でも、特に輪島の高齢化は顕著だ。2006年の調査では、同市人口の34%が65歳以上、5年後には40%に達すると見られている。

 日本全人口の高齢者が占める割合は、2004年には19.5%だった。若年齢層の出産率が上がらなければ、2050年には全人口の35%が高齢者になると予測されている。

 輪島市役所福祉課の担当者C氏も、「地震による地元コミュニティへの過疎化の影響を、真剣に考慮する必要がある」と語る。

 C氏は、「輪島市にとって、高齢化防止対策が最重要課題であることは事実だ」と述べる一方、「限られた予算では、大胆な改革は望めない」との悩みも漏らす。

 地震大国の日本では、インフラ設備には最新の耐震対策が施され、万全に備えた救援対策がとられていることから、能登半島地震の場合も、その規模に比べて被害を最少に抑えることができた。しかし、建物の耐震化が進んでも、高齢者が受ける精神的なショックはなくならない。

 2004年10月の新潟県中越地震では、高齢者を中心に67人が犠牲となったが、そのほとんどは直接の地震被害によるものではなく、地震後の生活のストレスが引き起こした疾病などによるものだった。

■若者離れも深刻に

 一方、輪島市の若者たちは、経済的に厳しい現実により都会に向かわざるを得ないと語る。3人の子どもをかかえる母親のDさん(38)は、同市でも最も被害の大きかった地区に住む。

 「こんな大地震の後では、ここを出て行こうと考えるのは自然なこと」と語るDさんは、近郊の街でエステティシャンとして働いている。
 「ここには、仕事もないしお客さんもこない。子どもたちが成長し、都会で働くようになったら、私も故郷を離れるかもしれない」

 写真は輪島で27日、避難所で健康チェックを受ける被災者の女性。(c)AFP / KAZUHIRO NOGI